【座右の銘100選】座右の銘にしたい「ことわざ・格言・名言 ...
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座右の銘は、人生を前向きに生きていくため、自分を励ます言葉であったり、逆に自分を戒めるための言葉ですが、特に決まりはなく無数にあります。
HOME>日本語>日本語【座右の銘100選】座右の銘にしたい「ことわざ・格言・名言」一覧2021年11月10日TwitterSharePocketHatenaLINEURLコピーあなたは「座右の銘」をお持ちですか?座右の銘は、人生を前向きに生きていくため、自分を励ます言葉であったり、逆に自分を戒めるための言葉ですが、特に決まりはなく無数にあります。
そのため「どんなものを選べばよいかわからないよ!」という方もいらっしゃるかもしれません。
そこで今回は、座右の銘にしたいと思えることわざ・格言・名言を100個厳選してみました!あなたにピッタリなかっこいい座右の銘が見つかるといいですね。
Contents/目次1座右の銘とは?2座右の銘にしたい「ことわざ・格言」100選!3【あ行】3.1青は藍より出でて藍より青し3.2浅い川も深く渡れ3.3明日は明日の風が吹く3.4雨垂れ石を穿つ3.5雨降って地固まる3.6蟻の思いも天に届く3.7案ずるより産むが易し3.8言うは易く行うは難し3.9怒りは敵と思え3.10石の上にも三年3.11石橋を叩いて渡る3.12急がば回れ3.13一か八か3.14一芸は道に通ずる3.15一期一会3.16一念天に通ず3.17一寸の光陰軽んずべからず3.18一銭を笑う者は一銭に泣く3.19井の中の蛙大海を知らず3.20因果応報3.21魚心あれば水心3.22馬には乗ってみよ人には添うてみよ3.23縁の下の力持ち3.24起きて半畳寝て一畳3.25思い立ったが吉日3.26思う念力岩をも通す3.27終わり良ければ全て良し4【か行】4.1学問に王道なし4.2勝って兜の緒を締めよ4.3果報は寝て待て4.4聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥4.5窮すれば通ず4.6清水の舞台から飛び降りる4.7義を見て為ざるは勇なきなり4.8来るもの拒まず去るもの追わず4.9鶏口となるも牛後となるなかれ4.10継続は力なり4.11光陰矢の如し4.12後悔先に立たず4.13好事魔多し4.14郷に入っては郷に従え4.15弘法筆を選ばず4.16虎穴に入らずんば虎子を得ず5【さ行】5.1三方良し5.2沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり5.3親しき仲にも礼儀あり5.4失敗は成功のもと5.5初心忘るべからず5.6少年老い易く学成り難し5.7勝負は時の運5.8人間到る処青山あり5.9人事を尽くして天命を待つ5.10好きこそ物の上手なれ5.11捨てる神あれば拾う神あり5.12善は急げ5.13千里の道も一歩から5.14袖振り合うも多生の縁5.15備えあれば憂いなし5.16損して得取れ6【た行】6.1鷹は飢えても穂を摘まず6.2他山の石6.3立つ鳥跡を濁さず6.4玉磨かざれば光なし6.5足るを知る6.6短気は損気6.7断じて行えば鬼神も之を避く6.8塵も積もれば山となる6.9罪を憎んで人を憎まず6.10沈黙は金、雄弁は銀6.11鉄は熱いうちに打て6.12天は自ら助くる者を助く6.13時は金なり7【な行】7.1情けは人の為ならず7.2為せば成る為さねば成らぬ何事も7.3七転び八起き7.4習うより慣れろ7.5二兎を追う者一兎をも得ず7.6人間万事塞翁が馬7.7念には念を入れよ7.8能ある鷹は爪を隠す7.9残り物には福がある8【は行】8.1背水の陣8.2働かざる者食うべからず8.3早起きは三文の徳8.4百里を行くものは九十里を半ばとす8.5人の振り見て我が振り直せ8.6深い川は静かに流れる8.7武士は食わねど高楊枝8.8冬来たりなば春遠からじ8.9故きを温ねて新しきを知る8.10細き流れも大河になる9【ま行】9.1蒔かぬ種は生えぬ9.2待てば海路の日和あり9.3実るほど頭を垂れる稲穂かな9.4身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ10【や行】【ら行】【わ行】10.1良い花は後から10.2李下に冠を正さず10.3災い転じて福となす10.4笑う門には福来たる10.5和をもって尊しとなす座右の銘とは?座右の銘の読み方は「ざゆうのめい」です。
「座右」には、座っているところのすぐ側、身近なところ、手を伸ばせばすぐに手が届くところという意味があります。
また、「左」ではなく「右」の理由は定かではなく諸説あります。
右には「助ける」という意味があるという説。
古代中国の皇帝が信頼できる家臣を自分の右側に座らせていたからという説。
古代中国では右側の位が高かったからという説。
右利きの人が多いので、右利きにとってすぐ手の届くところという意味からきているという説。
また、「銘」とは、一般的には金属や石などに刻み込んだ名前や言葉のことです。
つまり、「座右の銘」とは、人生において自分を励ましたり、戒(いまし)めるために心に刻み込む・心に留めておく言葉という意味になります。
座右の銘は、故事や四字熟語を含むことわざ、格言、名言などから選ばれることが多いですが、特に決まりはありません。
座右の銘にしたい「ことわざ・格言」100選!座右の銘におすすめの「ことわざ・格言」を100個あつめ一覧にしてみました。
意味も一緒に載せていますので、自分の座右の銘を選ぶときの参考にしてみてくださいね。
【あ行】【か行】【さ行】【た行】【な行】【は行】【ま行】【や行】【ら行】【わ行】 【あ行】青は藍より出でて藍より青し読み方:あおはあいよりいでてあいよりあおし 弟子が師匠の技量や学識を超えることのたとえです。
昔は、糸や布を青く染めるために「藍(あい)」という植物から染料を作りました。
藍の葉は青くないのですが、加工することで鮮やかな青の染料が作られることから、元のものより優れるという意味になります。
藍の葉中国の荀子(じゅんし・古代中国の思想家・儒学者)の「学問は、これで終わりだと思ってはいけない。
青は藍から作られるが、藍よりも青い。
」という言葉が由来です。
浅い川も深く渡れ読み方:あさいかわもふかくわたれ 浅い川のようでもどこで足を取られるかわからないから、深い川と思って十分用心して渡りなさいという意味です。
何事も注意深く慎重にしなさい、油断は禁物であるという教訓です。
明日は明日の風が吹く読み方:あしたはあしたのかぜがふく 先のことを案じても始まらないので、成り行きに任せて生きるということです。
くよくよと心配し、取り越し苦労をしても始まらないので、楽観的に生きようという意味で用いられます。
由来や出典は諸説あります。
映画「風と共に去りぬ」の主人公のセリフ「Tomorrowisanotherday.」を和訳したものが由来という説。
昭和初期に講談や落語の中で「明日は明日の風が吹く」という言葉が使われていて、次第にことわざとして広まったという説。
雨垂れ石を穿つ読み方:あまだれいしをうがつ 小さな努力でも根気よく続けてやれば、最後には成功するという意味です。
「漢書(かんじょ・中国前漢のことを記した歴史書)」の故事で、家臣が君主を諫める(いさめる)ために「雨だれは、長年の間に少しずつ石を削り、やがては石に穴をあけるように、小さなことであっても積もり積もれば大きな結果に繋がりうる」と言ったことが由来の言葉です。
雨降って地固まる読み方:あめふってじかたまる もめごとなど悪いことが起こったあとは、かえって基盤がしっかりしてよい状態になることのたとえ。
雨が降ることにより地面は一時的にぬかるみますが、その後しっかり落ち着き固まるところから生まれたことわざです。
蟻の思いも天に届く読み方:ありのおもいもてんにとどく 地をはって歩く蟻のような小さな虫でも、一心に努力すれば、その願いは天にまで達するという意味です。
弱小な者でも、一生懸命に努力すれば、希望を叶えることができるというたとえとして使われます。
案ずるより産むが易し読み方:あんずるよりうむがやすし お産する前は本人も周囲の人も色々と心配することが多いが、終わってみると案外たやすく済んでしまうものであるという意味です。
出産に限らず、物事は事前にあれこれ思い悩むよりも、実際はそれほど難しくないというたとえに使われます。
初めての出産で不安を抱いたり怖がったりしている妊婦さんに対し、出産経験のある高齢の女性が勇気づけるために言うようになったのが由来という説があります。
言うは易く行うは難し読み方:いうはやすくおこなうはかたし「難し」は「かたし」と読み「がたし」は誤りです。
なにごとも口で言うのは簡単だが、実行するのは難しいということ「言うことは簡単だから、なんでも言う」という使い方はしません。
中国前漢(ぜんかん・紀元前206年~8年)時代の学者・桓寛(かんかん)の「塩鉄論(えんてつろん)―利議(りぎ)」という書物の次の一節が由来です。
「言者不必有徳。
何者、言之易而行之難」「言う者は必ずしも徳あらず。
何となれば、之を言うは易くして、之を行うは難ければなり」「立派なことを言う者が必ずしも徳があるとは限らないのである。
どうしてかと言えば、口で言うのはたやすいが、それを実際に行うことこそむずかしいからである」という意味になります。
塩鉄論は、前漢の始元6年(紀元前81年)に、塩・鉄などの専売制度に関する朝廷における議論をまとめたものです。
怒りは敵と思え読み方:いかりはてきとおもえ 怒りは必ず相手の怒りや恨みを招き、結局は自分の身を滅ぼすことになるという意味です。
徳川家康(とくがわいえやす・1543年~1616年、江戸幕府を開いた)の名言です。
石の上にも三年読み方:いしのうえにもさんねん 冷たい石の上でも、三年もすわり続けていれば石が温まってくることから、最初は辛くとも、三年も辛抱すれば報われることのたとえです。
この場合の「三年」は具体的な「三年間」ではなく、「長い期間」「長い年月」を表しています。
「どんなに嫌なことでも3年は続けなければならない」「最低でも3年は続けなさい」とネガティブな意味で使う人がいますが、誤用です。
正しくは「辛くても続けることでいつか報われる」「続ければ結果が出るから頑張れ」という風に、ポジティブな意味で使います。
石橋を叩いて渡る読み方:いしばしをたたいてわたる 用心の上にもさらに用心を重ねて、慎重に物事を行うという意味です。
昔は木製の橋が多く、石橋は頑丈な橋として認識されていました。
だれが見ても頑丈に見える石橋でも、もしかしたら壊れるかもしれないと考えて、叩いて安全を確かめてから渡った人がいたのが、このことわざの由来といわれています。
急がば回れ読み方:いそがばまわれ 急いで物事をなしとげようとするときは、危険な近道を行くより、安全確実な遠回りを行くほうが得策だという意味です。
宗長(そうちょう・1448年~1532年、室町時代の連歌師)の「もののふの矢橋(やばせ)の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」という歌が由来といわれています。
「もののふ」とは武士のことです。
「矢橋の船」とは琵琶湖の渡し船のことで、東海道五十三次の草津宿(現在の滋賀県草津市矢橋港)と大津宿(現在の大津市石場港)を結んでいました。
当時、草津宿から大津宿を経て京都へ向かうには、陸路と水路の二通りのルートがありました。
陸路は琵琶湖南側の「瀬田の長橋」を通るため、遠回りになりました。
一方、水路は琵琶湖を渡し船で横断するため、距離が短かったそうです。
しかし、水路は比叡山から吹き下ろされる突風により危険であり、到着も遅れたことからこのような歌ができたようです。
関連:「急がば回れ」の意味と語源とは?使い方と例文。
英語で何て言うの? 一か八か読み方:いちかばちか 結果が思いどおりになるかどうか見通せない状況だが、運を天にまかせ思いきってやってみることのたとえです。
丁半博打(ちょうばくち)が由来です。
丁半博打とはサイコロを使った賭博のことです。
偶数を「丁」、奇数を「半」とし、ふたつのサイコロを振って出た数の合計が丁か半かで賭けをします。
「丁」と「半」、それぞれの漢字の上の部分をとると「一」と「八」になることが由来で、「丁か半か」は「一か八か」と同じ意味になります。
一芸は道に通ずる読み方:いちげいはみちにつうずる 一つのことを知りつくし極めた人は、他のどんな事柄においても物事の道理(物事の正しい筋道)もかるようになる。
または、他のどんな分野においてもよい方法を見いだして、上手にやっていけるという意味です。
「一芸」とは、長い時間をかけて、ある一つのことを専門に習って身につけた技術のことです。
「道」とは、ものごとの道理のことです。
一期一会読み方:いちごいちえ 一生に一回しかないと考え、出会いを大切にしたり、そのことに専念する意味の四字熟語です。
一期一会は茶道に由来しており、千利休(せんのりきゅう・戦国時代から安土桃山時代の茶人)の言葉が由来です。
千利休の弟子である山上宗二(やまのうえそうじ)の「山上宗二記」には千利休が言ったとされている「一期に一度の会」という言葉が記されています。
一期は仏教用語で一生を指し、「一期に一度の会」は、どの茶会でも生涯に一度しかない出会いであるから、誠意をつくすべきであるという心構えを説いています。
一念天に通ず読み方:いちねんてんにつうず 物事をなしとげようとする一つのことに専念すれば、その心は天に通じ、必ず成就するということです。
一寸の光陰軽んずべからず読み方:いっすんのこういんかろんずべからず わずかな時間であっても、決してむだにしてはならない、時が経つのはあっという間という意味です。
「一寸」とはわずかな時間のこと。
「光陰」の「光」は太陽、陰は「月」を表すことから、時間や年月のことです。
中国の朱子(しゅし・1130年~1200年、中国南宋の儒学者)の詞「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」が由来です。
一銭を笑う者は一銭に泣く読み方:いっせんをわらうものはいっせんになく たかが一銭とばかにして笑う者は、やがてその一銭にも困る羽目になるので、金銭は小額でも粗末にしてはいけないという意味です。
「一銭」は昔の通貨なので、現在の「円」に置き換えて「一円を笑う者は一円に泣く」ということもあります。
井の中の蛙大海を知らず読み方:いのなかのかわずたいかいをしらず 小さな井戸の中にいる蛙は、大きな海などの井戸の外にある世界のことを知らないと言う意味です。
自分の狭い知識にとらわれてしまい、もっと広い視野で物事をとらえられないことのたとえとして使われます。
中国の荘子(そうし・紀元前369年ごろ~紀元前286年ごろ、思想家)の「井戸の中にいる蛙はずっと狭い世界しか見たことがなく海を見たことがないため、視野が狭くありきたりの知識しかない」という言葉が由来です。
因果応報読み方:いんがおうほう 人はいい行いをするといい報いがあり、悪い行いをすると悪い報いがあるというように、どんな行いも自分に戻ってくるという意味です。
因果は「原因と結果」のこと、応報は「報い」のことです。
因果応報は仏教の教えで、現世の幸不幸は前世の行いの報いであり、来世の幸不幸は現世の行いによって生じるということで、どんな結果にも必ず原因があることを意味しています。
「日ごろから真面目に働いている彼だから、良い結果に結びついたのは因果応報だね」「後輩に憂さ晴らしのように厳しく当たるから、因果応報で裏切られたんだよ」このように、良い意味、悪い意味、どちらでも使うことができますが、悪い意味で使うことが多いようです。
魚心あれば水心読み方:うおごころあればみずごころ 魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心があるということから、相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示す気になる、相手の出方しだいでこちらの応じ方が決まることのたとえです。
また、こちらの態度次第で相手も変わる、こちらが好意を持って接すると、相手も応じてくれるという意味でも使います。
馬には乗ってみよ人には添うてみよ読み方:うまにはのってみよひとにはそうてみよ 馬の良し悪しは乗ってみないとわからないように、人柄の良し悪しも付き合ってみなければわからないという意味です。
また、先入観だけで人を判断しないようにとの意味もあります。
何事も自分で経験してみなければわからないことのたとえとして使われます。
江戸時代初期の俳人・松江重頼が刊行した「毛吹草(けふきぐさ)」にでてくる「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」という言葉が由来です。
縁の下の力持ち読み方:えんのしたのちからもち 人の目につかないところで、他人のために支える苦労や努力をすることのたとえです。
「縁の下」とは、床下や縁側の下のことです。
大阪の四天王寺の「椽(えん)の下の舞」が由来といわれています。
「椽の下の舞」は人前で披露されることはなく、経供養(きょうくよう)という行事で奉納されていました。
経供養とは、経文を写して仏前に供え、法会(人々を集めて仏を供養し、仏法を説く行事)を営むことです。
観客の目に触れなくても法会に向けて練習を重ねることから、「椽」を同じ読み方の「縁」に置き換えて陰で努力をする人のことを「縁の下の舞」と言うようになり、次第に「縁の下の力持ち」という言葉に変わっていきました。
※経供養は現在は公開されており、毎年10月に四天王寺で行われています。
起きて半畳寝て一畳読み方:おきてはんじょうねていちじょう 人間が必要な広さは、起きている時が半畳で、寝ても一畳あれば足りることから、贅沢や欲張ることは慎むべきであるという意味です。
さらに「天下とっても二合半(一食に二合半以上のお米は食べきれない)」を続けて「起きて半畳寝て一畳、天下とっても二合半」とする場合もあります。
由来は定かではありませんが、織田信長(おだのぶなが・1534年~1582年)や豊臣秀吉(とよとみひでよし・1537年~1598年)、夏目漱石(なつめそうせき・1867年~1916年)の言葉だという説があります。
思い立ったが吉日読み方:おもいたったがきちじつ 「思い立つ」はある物事を実行しようと決心することで、「吉日」は縁起のいい日のことで何か始めるのに適している日です。
なにか物事を始めようと思ったときは、思いついたその日が縁起のいい日である。
思ったときはすぐ実行するのがいい、という意味になります。
思う念力岩をも通す読み方:おもうねんりきいわをもとおす 物事を必死になって行えば、どんなことでもやって出来ないことはないということです。
中国の「史記(しき・中国前漢時代の歴史書)」の「石に立つ矢」という故事が由来です。
中国の李広(りこう・中国前漢時代の将軍)という将軍が、軍を率いて歩いていた時、大きな石を虎と思って矢を放ったら、刺さるはずのない石に矢が突き刺さったことから、岩のように大きな障害があったとしても、必死に取り組めばその壁を乗り越えができるという意味になります。
終わり良ければ全て良し読み方:おわりよければすべてよし 物事は最終の結末がもっとも大事であり、途中の過程は問題にならないという意味です。
イギリスのウィリアム・シェークスピア(1564年~1616年・劇作家、詩人)の「All'swellthatendswell.『終わりよければ全てよし』」という作品が由来といわれています。
【か行】学問に王道なし読み方:がくもんにおうどうなし 学問を修めるのに簡単な方法はなく、だれであろうと苦労して習得していくほかはないという意味です。
古代ギリシアの数学者エウクレイデス(紀元前3世紀ごろ、英語名はユークリッド)が、エジプト王プトレマイオスに「幾何学を簡単に学ぶ方法はないか」と尋ねられたときに、「幾何学に王道なし」と答えた故事が由来です。
勝って兜の緒を締めよ読み方:かってかぶとのおをしめよ 戦いに勝っても、安心して気をゆるめず、気持ちを引き締めてやれという戒めの言葉です。
「兜の緒」とは、戦うに当たって、兜を頭に結びつけるための紐(ひも)のことです。
戦いに勝った後、ほっとしてそのひもを解き放つのではなく、逆に、敵の反撃にそなえてひもを締め直すぐらいの慎重さを持てというところからきています。
北条氏綱(ほうじょううじつな・1487年~1541年、戦国時代の武将)の遺言が由来といわれています。
果報は寝て待て読み方:かほうはねてまて 運というものは人の力ではどうにもできないものだから、あせらずに時機を待つのが良いという意味です。
「果報」とは仏語用語で、前世での行いの結果として現世で受ける報いのことで、それが転じて、幸運に恵まれることをいいます。
「寝て待て」といっても、本当に寝ていればいいという意味ではなく、やれるだけのことをやったあとは気長に良い知らせを待つしかないということです。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥読み方:きくはいっときのはじきかぬはいっしょうのはじ 自分が知らないことを聞くのは恥ずかしいと思っても、聞かなければ一生知らないので、そっちの方がよっぽど恥ずかしいという意味です。
窮すれば通ず読み方:きゅうすればつうず 事態が行き詰まって困りきると、思いがけない活路が開けてくるものであるという意味です。
中国の「易経(えききょう・古代中国の占い書)」にある「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず、通ずれば即ち久し」の一文が由来です。
この一文は「行き詰まったときは何か変わらざるを得なくなる、何かが変わると新しい道が開ける、その繰り返しをしていくことで長く道を続かせることができる」という意味になります。
清水の舞台から飛び降りる読み方:きよみずのぶたいからとびおりる 思い切って大きな決断を下すことのたとえです。
「清水の舞台」とは京都の清水寺にある高い崖に張り出して作られた舞台のことです。
願いをかけて「清水の舞台」から飛び降りて無事であれば願いがかなう、もしくは死んで成仏できるといわれ、身を投げる者が絶えなかったそうです。
義を見て為ざるは勇なきなり読み方:ぎをみてせざるはゆうなきなり 正義の行いだと知りながら実行しないのは勇気がないからだ、という意味です。
孔子(こうし・紀元前552年~紀元前479年)の「論語(ろんご)」に書かれている言葉です。
関連:論語とは?簡単にわかりやすく解説します!論語の名言一覧 来るもの拒まず去るもの追わず読み方:きたるものこばまずさるものおわず 「去る者は追わず来る者は拒まず」とも言います。
「来る者」は「くるもの」ではなく「きたるもの」と読みます。
自分のもとを去る人を引き留めず、自分のことを信じてきてくれる人はすべて受け入れるという意味です。
また、他人との付き合いにこだわりがない人に対して使うこともあります。
中国の思想家・孟子が弟子を取るときのやり方が由来で、自分のこだわりを捨てて他人の意思を尊重するという考え方から来ています。
鶏口となるも牛後となるなかれ読み方:けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ 「鶏口」とは、鶏の口のことで「小さな集団の長」を表しています。
「牛後」とは、牛の尻のことで「大きな集団の中で人に使われる」ことを表しています。
鶏の口となっても、牛の尻になるべきではない。
大きな集団で人に使われるより、小さな集団であっても長となるほうがよいという意味になります。
中国の「史記(しき・中国前漢時代の歴史書)」に「たとえ小さな国であっても一国の王として権威を保つことの方が大切であり、大国に屈しその臣下に成り下がるよりも良い」という故事が出てきますが、その中の一節「寧為鶏口、無為牛後(寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為ること無かれ)」が由来です。
継続は力なり読み方:けいぞくはちからなり 何事も継続すれば成功につながるという意味です。
物事を続けるのは大変な努力が必要ですが、小さなこと些細な事でも続けることによって夢が叶う。
目標を達成し成功するということです。
大正から昭和初期にかけて活動した住岡夜晃(すみおかやこう・1893年~1949年、宗教家)の「讃嘆の詩(さんだんのうた)」という詩の「念願は人格を決定す、継続は力なり」という一節が由来です。
「讃嘆の詩」は以下のとおりです。
青年よ強くなれ牛のごとく、象のごとく、強くなれ真に強いとは、一道を生きぬくことである性格の弱さ悲しむなかれ性格の強さ必ずしも誇るに足らず念願は人格を決定す 継続は力なり真の強さは正しい念願を貫くにある怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である青年よ強くなれ 大きくなれ 光陰矢の如し読み方:こういんやのごとし 月日が過ぎるのは矢のように速いことのたとえです。
「光陰」の「光」は太陽、陰は「月」を表すことから、時間や年月のことです。
中国唐の時代の詩人である李益(りえき)が書いた「游子吟(ゆうしぎん)」という詩の一節「光陰如箭(こういんじょぜん)」が由来といわれています、「箭」は矢のことです。
日本では、曽我物語(鎌倉時代末期~南北朝時代)の中に「くゎうゐん矢のごとし、かふりょく、はや七歳にぞなりにける」という一節があります。
また、福沢諭吉の「旧藩情」という書物の中に、「光陰矢の如く」という一文がでてきます。
後悔先に立たず読み方:こうかいさきにたたず すんでしまったことを後から悔やんでも取り返しがつかないので、事前に十分注意しなさいという教えです。
好事魔多し読み方:こうじまおおし 良いことには邪魔が入りやすいものだから、良いことがあったからといって有頂天になってはいけないという戒めの言葉です。
由来は中国に古くから伝わることわざといわれています。
郷に入っては郷に従え読み方:ごうにいってはごうにしたがえ 「村に入ったらその村の掟に従え」という意味です。
風俗や習慣はその土地によって違うから、新しい土地に来たら、その土地の風俗や習慣に従うべきだということです。
「郷」とは昔の地方行政の単位で村の集合体を指しますが、ことわざでは土地に限らず組織や集団のことも指します。
たとえば、転職先で以前の職場と仕事の進め方が違っていても「郷に入っては郷に従えというから、新しい職場のやり方を覚えて行こう」というふうに使います。
中国の古くから伝わることわざです。
弘法筆を選ばず読み方:こうぼうふでをえらばず 「弘法」とは弘法大師空海(くうかい・774年~835年、僧侶、真言宗の開祖)のことです。
空海のように書に優れている者なら、字を書くときに筆の善し悪しは関係ないという意味です。
それが転じて、技量が優れていれば道具に左右されないという意味になります。
また、達人の域に達すればどのような状況でも失敗しないという意味もあります。
自分の技量の不足を道具のせいにしてはならない、更には、失敗を周りの環境のせいにしてはならないという戒めの言葉でもあります。
虎穴に入らずんば虎子を得ず読み方:こけつにいらずんばこじをえず 虎の子を得るためには、虎の住む洞穴に危険をおかして入らねばならないことから、危険をおかさなければ大きな成功や功名は得られないという意味になります。
「虎の子」とは、虎が子を非常に大事に守り育てるところから、大切にして手離さないもののたとえで、大きな成功や功名のことです。
「後漢書(ごかんじょ・中国後漢について書かれた歴史書)」の故事が由来です。
後漢時代の武将、班超(はんちょう)が部下の士気を上げるために放った言葉で、「不入虎穴,焉得虎子(虎の穴に入らなければ、虎の子を捕らえることはできない)」と部下を励まして敵国の軍に突撃し、全滅させることに成功しました。
【さ行】三方良し読み方:さんぽうよし・さんぼうよし 三方とは「売り手」「買い手」「世間」のことです。
商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえるという考え方です。
江戸時代中期に日本各地で商売をし、海外にも進出していた近江商人(現在の滋賀県を拠点にする商人)の商売に対する心得です。
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり読み方:しずむせあればうかぶせあり 人生の局面を川の瀬に見立てて、浮き沈みがあることを表しています。
人生には良いことも悪いこともあり、不幸ばかりが続くわけではないから、くよくよするべきではないというふうに使います。
不幸に見舞われた落ち込んだ人を励ますときに使う言葉です。
親しき仲にも礼儀あり読み方:したしきなかにもれいぎあり 親しいことで遠慮がなくなっていき、それが不和の元にもなるということから、仲が良くとも、度が過ぎて礼を失するようなことがあってはいけないという戒めです。
孔子(こうし・紀元前552年~紀元前479年)の「論語(ろんご)」に礼儀の大切さを説いた教えがあり、それが由来だといわれています。
失敗は成功のもと読み方:しっぱいはせいこうのもと「失敗は成功の母」という場合もあります。
失敗することによってやり方を改めることができ、かえって成功へと繋がることになるから、一度や二度の失敗にくじけるべきではないという教えです。
また、失敗してもその原因を追究しなかったり、やり方を改善しようとする姿勢がなければ、また同じような失敗をくり返すだろうという使い方もされます。
アメリカのトーマス・エジソン(1847年~1931年・発明家、起業家)の「私は失敗したことがない。
ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ。
」という言葉が由来だといわれていますが定かではありません。
初心忘るべからず読み方:しょしんわするべからず 物事は慣れてくると慢心してしまいがちなので、何かを始めた最初のころの謙虚では張りつめた気持ちを忘れてはいけない、という戒めの言葉です。
世阿弥(ぜあみ・1363年ごろ~1443年ごろ)が能楽の修行について語った言葉です。
芸の向上には限りがなく、年を取ったから完成するということはないし、慣れると慢心してしまいがちなので、どんな時でも初めての時を忘れず、自分の未熟さを自覚して、芸の向上を目指しなさいという教えです。
少年老い易く学成り難し読み方:しょうねんおいやすくがくなりがたし 若い時期はすぐに過ぎていくのに、学問はなかなか一人前にならないので、若い時から時間を無駄にせず勉学に励むようにという意味です。
中国の朱子(しゅし・1130年~1200年、中国南宋の儒学者)の詞「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」が由来です。
「少年老い易く学成り難し」と「一寸の光陰軽んずべからず」は別々の言葉として使われることが多いようです。
勝負は時の運読み方:しょうぶはときのうん 勝ち負けとはそのときの運によるもので、必ずしも強い者が勝ち、弱い者が負けるとは限らないということです。
勝ちにも負けにも絶対はないのだから、勝ったから驕るべきでもないし、負けたから落胆する必要もない、敗者には慰めの言葉、勝者にとっては自戒の意味を込めて使います。
古典の太平記(たいへいき・作者、成立年不明、1318年~1868年の出来事を描いた軍記物語)の「軍の勝負は時の運によることなれば、あながち恥ならねど」という一文が由来です。
人間到る処青山あり読み方:じんかんいたるところせいざんあり・にんげんいたるところせいざんあり 「じんかん」と読む場合、世間のことで、「にんげん」と読む場合は人生という意味になります。
「じんかん」と読むのが通例となっていますが、「にんげん」でも間違いではありません。
「青山」とは、骨を埋める場所または、墓のことです。
人はどこにだって骨を埋める地があるもので、故郷ばかりが死に場所ではないのだから、志を持って郷里を出、おおいに活躍すべきであるという意味です。
月性(げっしょう・1817年~1858年、僧侶、思想家、教育者)が著した以下の漢詩に由来する言葉です。
男兒立志出郷關學若無成不復還埋骨何期墳墓地人間到処有青山 現代語に訳すと男子がひとたび志を立てて故郷を出たからには学業の成就をみなければ故郷に帰るものではない。
骨を埋めるのは必ずしも先祖代々の地を望むものではない。
この世はどこにあっても骨を埋める地はあるのだから。
人事を尽くして天命を待つ読み方:じんじをつくしててんめいをまつ 自分の全力をかけて努力をしたら、その後は天命に任せるという意味です。
事の成否は人知を越えたところにあるのだから、どんな結果になろうとも悔いはないという心境を表すときに使います。
中国の胡寅(こいん・1098年~1156年、儒学者)が書いた「読史管見(とくしかんけん)」の「人事を尽くして天命に聴す(まかす)」という一文が由来といわれています。
好きこそ物の上手なれ読み方:すきこそもののじょうずなれ 誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するということです。
捨てる神あれば拾う神あり読み方:すてるかみあればひろうかみあり 誰かに見捨てられることがあっても、一方では、助けてくれる人もいるという意味です。
たとえ不運なことや困ったことがあっても、悲観することはないというように励ますときに使う言葉です。
日本には古くから八百万の神(やおよろずのかみ・非常にたくさんの神々)がいると考えられていることからこの言葉が生まれたようです。
善は急げ読み方:ぜんはいそげ 良いと思ったことは、ためらわず、すぐに行動に移すべきである、好機は逃すべきではないという意味です。
仏教の最も古いお経「ダンマパダ」の「善を為すのを急げ、悪から心を退けよ、善を緩(ゆる)くしたら心は悪事をたのしむ」という言葉が由来といわれています。
「善」は「善行(ぜんこう)」のことで、良い行い、道徳にかなった行いを意味します。
千里の道も一歩から読み方:せんりのみちもいっぽから 千里はなれた遠いところに行くにも、足元の第一歩から始まるという意味です。
どんな大きな成功も、最初の小さな一歩を踏み出さなければ始まらないということです。
千里は日本ではおおよそ3900km距離であり、非常に遠いという意味の比喩的表現です。
古代中国の思想家・老子の言葉が由来になっており、遠い道のりも一歩踏み出すことから始まると説いたことが始まりです。
日本には鎌倉時代に伝わったと考えられており、「王函秘抄(ぎょっかんひしょう)」という書物にも「千里の行も足下からはじまる」記されています。
袖振り合うも多生の縁読み方:そでふりあうもたしょうのえん 道で人と袖を触れあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだという意味です。
どんな小さなことや些細な人との出会いも単なる偶然ではなく、すべてはご縁があって起こるものであるということです。
本来は「多生」と書くのですが、「他生」と書く人が多いためどちらでも良いということになっています。
「多生」は仏教用語で、何度も生まれ変わることをいいます。
「他生」も仏教用語で、今生(今の人生)からみて前世と来世のことです。
備えあれば憂いなし読み方:そなえあればうれいなし 普段から十分に準備しておけばいざというときに何も心配いらないという戒めのことばです。
儒教の経典「五経」のひとつ「書経」に記されている「有備無患(備えがあれば患い(わずらい)はない)」という言葉が由来です。
損して得取れ読み方:そんしてとくとれ 元々は「得」ではなく「徳」という漢字で、「損して徳取れ」ということわざでした。
「損して徳取れ」は、損をしてでも、一生懸命、努力を惜しまず徳を積んでいけば、いつか良い事が回ってくるということを意味します。
これが転じて、商売で使われるようになり、「徳」から「得」という漢字に変化して「損して得取れ」になり、「一時的に損をしても大きな利益を得ることができる」という意味になったそうです。
【た行】鷹は飢えても穂を摘まず読み方:たかはうえてもほをつまず 気位の高い鷹は、どんなにおなかをすかせているときでも、人間の作った稲穂をついばんだりしません。
このことから、節操のある人はいかなるときでも不正に金品を受け取ったりしないということのたとえです。
他山の石読み方:たざんのいし 他人のどんな行動でも、自分を磨いたり反省するための材料になるという意味です。
「詩経(しきょう・中国最古の詩集)」の故事にある「他山の石以て玉を攻むべし(たざんのいしをもってたまをおさむべし)」という言葉が由来です。
「よその山から出た質の悪い石でも、自分の宝石を磨くのに役立てることができる」ことを表しており、これが転じて「他人の誤った言行(=よその山のつまらない石)でも、自分の修養の助けとなる(=自分の立派な玉を磨くのに使える)」といった意味になったようです。
立つ鳥跡を濁さず読み方:たつとりあとをにごさず 立ち去る者は後始末をきちんとして去るべきだという戒めの言葉です。
引き際は美しくあるべきであるという意味で使われます。
水鳥が飛び立ったあとの水面が清く澄んだままの様子が由来といわれています。
玉磨かざれば光なし読み方:たまみがかざればひかりなし すぐれた才能や素質を持つ人物でも、努力して自分を磨かなければ、その才能や素質を活かせないというたとえです。
中国の「礼記(らいき・祭事、政治、儀礼の解説などを記したもの)」の「どんな宝石も磨かなければ美しい器具にはならない。
人間は学問を修めなければ生きる道を知ることはできない」という一文が由来です。
足るを知る読み方:たるをしる「足るを知る者は富む」ということもあります。
満足を知っている人は心が豊かであるということ。
必要以上の物を手にいれるのではなく、今の現状を受け入れ、日々の生活に感謝することで心豊かに暮らせるというたとえとして使われます。
老子(ろうし・中国春秋時代の哲学者)の書籍の三十三章に出てくる「知足者富(足るを知る者は富む)」という言葉が由来です。
短気は損気読み方:たんきはそんき 短気を起こすと、人間関係がこじれたり、仕事もうまくいかないなどの理由から、結果的に損をするのは自分だという意味です。
「損気」は「短気」に語呂を合わせるために作られた言葉で、「気」に特別な意味はありません。
人形浄瑠璃に「冥土の飛脚(めいどのひきゃく)」という演目があり、その中の「短気は損気の忠兵衛」という言葉が由来といわれています。
断じて行えば鬼神も之を避く読み方:だんじておこなえばきしんもこれをさく 断固とした態度で行えば、鬼神でさえその勢いに気おされて避けて行くことから、決心して断行すれば、どんな困難なことも必ず成功するということです。
中国の「史記(しき・中国前漢時代の歴史書)」の故事が由来です。
秦の始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)は「長男を次の帝に」という遺言を残して亡くなりしたが、政治家の趙高(ちょうこう・不明~紀元前206年)は始皇帝の末子を帝にしたかったので遺言を書き換えました。
ためらう末子に「断じて行えば鬼神も之を避く」と言い、帝になることを決意させ、末子が帝になると趙高が実権を握りました。
もともとは「強い気持ちでやれば、悪いことをしても大丈夫」と悪事をそそのかす言葉ですが、いつの間にか良い意味に変わっていったようです。
塵も積もれば山となる読み方:ちりもつもればやまとなる どんな小さなことでも積み重ねることで大きくなるという意味です。
インド仏教の教えを説いた仏教書の「大智度論」94巻の「どんな小さなものも積み重ねて山を作ると、動かすことができない」という言葉が由来です。
罪を憎んで人を憎まず読み方:つみをにくんでひとをにくまず 罪は憎むべきだが、その罪を犯した人まで憎むべきではないという意味です。
宗教家や裁判官などがよく使う言葉ですが、被害者にとってはなかなか受け入れられない言葉です。
孔子(こうし・紀元前552年~紀元前479年)の「犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという」教えが由来です。
沈黙は金、雄弁は銀読み方:ちんもくはきん、ゆうべんはぎん 言葉が逆になっただけで同じ意味の「雄弁は銀、沈黙は金」という言葉もあります。
トーマス・カーライル(1795年~1881年・イギリスの思想家・歴史家)の言葉で、何も語らず黙っていることは、雄弁よりも大事であるという意味です。
鉄は熱いうちに打て読み方:てつはあついうちにうて 鉄は熱してやわらかいうちには、打っていろいろな形にできることから、好機を逸してはならないことのたとえです。
また、教育や鍛練は若いうちにすべきであるというたとえにも使われます。
19世紀のオランダのことわざが由来といわれています。
天は自ら助くる者を助く読み方:てんはみずからたすくるものをたすく 他人に頼らず、自分で努力する者には天の助けがあり、幸福になるという意味です。
英語のことわざ「Heavenhelpsthosewhohelpthemselves.」を福沢諭吉(ふくざわゆきち・1835年~1901年、思想家、教育者)が訳しました。
時は金なり読み方:ときはかねなり 時間はお金と同じようにとても貴重なものなので無駄に浪費せず、できる限り有意義に使いなさいという戒めです。
アメリカのベンジャミン・フランクリン(1705年~1790年、政治家)の「Timeismoney」という名言が由来です。
【な行】情けは人の為ならず読み方:なさけはひとのためならず 人に情けをかけるのは、その人のためになるだけではなく、めぐりめぐって自分にも返ってくるということから、人には親切にしなさいという教えです。
「情けをかけることは、かえってその人のためにならない」と誤用する人が多いです。
為せば成る為さねば成らぬ何事も読み方:なせばなるなさねばならぬなにごとも この言葉には続きがあり、正確には「為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」です。
読み方は「なせばなるなさねばならぬなにごとも ならぬはひとのなさぬなりけり」です。
「為す」は動作や行動をするという意味があり、全体の意味は以下のようになります。
「やればできる。
何事も、やらなければできない。
できないのはやろうとしないからだ」「何かを為し遂げようとする意志があれば、何事も達成できる。
達成できないのは、為し遂げようとする意志がないからだ」 「努力をすれば必ず達成できる!達成できないのは努力が足りないのだ!」という解釈もありますが、「努力をすれば必ず達成できる」ということではなく、「何かを為し遂げるためにはまず行動し、諦めず、達成させるという強い意志を持ちなさい」という意味であり、その結果を問うものではないという解釈もあります。
上杉鷹山江戸時代(1603年~1868年)後期の米沢藩主(現在の山形県)の上杉鷹山(うえすぎようざん・1751年~1822年)が教訓として、次期藩主や家臣に詠み与えた歌です。
アメリカの第35第大統領ジョン・F・ケネディが「日本で最も尊敬する政治家は誰ですかと」問われ、「上杉鷹山」と答えたエピソードは有名ですよね。
七転び八起き読み方:ななころびやおき四字熟語の「七転八起(しちてんはっき)」と同じ意味になります。
七度転んでも八回立ち上がるという意味で、何度失敗してもくじけずに何度も立ち上がることのたとえとして用いられます。
また、人の世の浮き沈みの激しいことのたとえとして使用される場合もあります。
「七」と「八」は仏教の教えが由来で、数が多いことを表しています。
産まれたときは立っておらず、一度立ち上がることから始まるのでこの一回分を数えて七起きではなく八起きとなっています。
習うより慣れろ読み方:ならうよりなれろもともとは「習うより慣れよ」といいました。
人から教えてもらうより、実際に経験を積んだり練習を重ねたりして、体で覚えていくほうが、しっかりと身につくという意味です。
二兎を追う者一兎をも得ず読み方:にとをおうものいっとをもえず 同時に違った二つの事をしようとすれば結局どちらも成功しない、二つの目標を同時に達成しようとすると結局はどちらも達成できないという意味です。
欲を出して二羽の兎を同時に捕まえようとする者は、結局は一羽も捕まえられないという、西洋のことわざが由来です。
人間万事塞翁が馬読み方:にんげんばんじさいおうがうま・じんかんばんじさいおうがうま 「塞翁が馬(さいおうがうま)」ともいいます。
「にんげん」と読む場合は人生、「じんかん」と読む場合は世間という意味になります。
人間万事塞翁が馬の場合、「にんげん」と読むのが通例だそうですが、「じんかん」でも間違いではありません。
幸不幸は予測ができず、人間の思い通りにはならないことのたとえです。
また、思い通りにならない幸不幸を安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという戒めとして用いられます。
「人間」は中国語で世間、「万事」はあらゆること、「塞翁」は塞(とりで・外敵を防ぐために建設された城塞)に住む翁(老人)ことです。
中国・前漢時代の「淮南子(えなんじ)」という思想書にある話がもとになっている故事成語です。
淮南子に書かれている故事は以下のとおりです。
昔、塞に住んでいた老人の馬が逃げるという不幸が起きます。
しかし、その馬が優れた馬を連れて返ってくるという幸運が起きました。
その後、優れた馬に乗った老人の息子が落馬して骨を折るという不幸が起きますが、その骨折のおかげで兵役を逃れることができました。
このように人の幸不幸は思い通りにならない、世の中で起こることは予想できないことからこの故事成語が生まれました。
関連:「人間万事塞翁が馬」の読み方・意味・使い方とは?英語で何て言う? 念には念を入れよ読み方:ねんにはねんをいれよ 注意した上にも、さらに注意せよということ、手抜かりがないかどうか、細心の注意をせよという意味です。
能ある鷹は爪を隠す読み方:のうあるたかはつめをかくす 有能な鷹は獲物に悟られないよう、鋭い爪を普段は隠し、いざという時だけ爪を出すことから、すぐれた人物は普段は実力を見せびらかしたり、自慢したりしないものだというたとえです。
北条氏直時分諺留(ほうじょううじなおじぶんことわざどめ・年代作者など詳細不明)という戦国時代の古い書物が由来といわれています。
その中に「鷹は非常に鋭い爪を持っているが、獲物をとる際は直前まで相手にその爪の存在を悟られないように隠す動物だ」という記述があるそうです。
残り物には福がある読み方:のこりものにはふくがある似たことわざに「あまり茶に福あり」があります。
誰かが残した物の中や、最後に残った物の中には、思いがけなく価値のある物が残っているという意味です。
我先にと人と競って先を争うのを戒めるときや、順番が後になった人を慰めるときに使われます。
江戸時代の浄瑠璃「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」の中の言葉「余り茶に福がある、然(しか)らば今一つ」というセリフが由来といわれています。
「余り茶」とは、お茶を淹れたあとに残る茶葉や、誰かが飲み残したお茶、みんなが取った後に残ったお茶などのことで、そういったものには思いがけず良いものがあるといっているのです。
【は行】背水の陣読み方:はいすいのじん 川や湖、海などを背にした陣立てのことで、もう逃げ場はないと覚悟した上でものごとに取り組むことのたとえです。
中国の「史記(しき・中国前漢時代の歴史書)」の故事が由来です。
前漢の名将が趙(ちょう)の軍と戦ったときに、わざと川を背にして陣をとり、味方に退却できないという決死の覚悟をさせ、敵を破りました。
働かざる者食うべからず読み方:はたらかざるものくうべからず 怠けて働かない人は食べてはいけないという意味です。
新約聖書の「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」の言葉が由来です。
ロシアの革命家でキリスト教のレーニンが、働かずにお金を得る不労所得を非難するために言った言葉が広まりました。
早起きは三文の徳読み方:はやおきはさんもんのとく「徳」は「得」と同じ意味です。
早起きをすれば、健康にも良いし、仕事や勉強がはかどるなど得をすることのたとえです。
「三文」とは三枚の一文銭(江戸時代の通貨)三枚のことで、現在の100円くらいの価値だといわれていますが、ここでの「三文」は具体的な金額ではなく「ごくわずか、少しだけ」という意味で使われています。
中国の樓鑰(ろうやく・1137年~1213年、宋時代の文学者)の「早起三朝當一工(三日続けて早起きすれば一人分の働きに匹敵する)」という詞が由来です。
もともとは「三朝」だったのですね。
「三朝」が「三文」になったのは、日本に伝わってからといわれており、由来は二つの説があります。
【奈良が由来という説】江戸時代中期に「生類憐れみの令」が制定されました。
これは、「生き物を大切にせよ」という内容で、奈良県の鹿も手厚く保護され、危害を加えた者には三文の罰金刑が科せられていました。
そのため、庶民は早起きをして、軒先に鹿の死骸がないかどうかを確かめていたことが由来という説があります。
【高知が由来という説】江戸時代の土佐藩(現在の高知県)が治水対策の堤防を築く際に、少しでも土を早く固めるため「堤防の土を朝早く踏み固めた者には三文を与える」というお触れを出したことが由来という説があります。
百里を行くものは九十里を半ばとす読み方:ひゃくりをいくものはくじゅうりをなかばとす 百里の道を行く者は、九十里来たところでやっと半分歩いたと思えという意から、何事も終わり近くになると困難が多く失敗しがちなので、9割済んだあたりで半分と心得なさいという意味です。
九分通り済んだあたりで半分と心得、最後まで緊張を緩めるなという戒めの言葉です。
中国の「戦国策(せんごくさく・戦国時代の説話集)」の「詩云、行二百里一者半二於九十一、此言二末路之難一」が由来の言葉です。
人の振り見て我が振り直せ読み方:ひとのふりみてわがふりなおせ 他人の良い行い、または悪い行いを見て、自分の行動を反省し改めよという意味です。
深い川は静かに流れる読み方:ふかいかわはしずかにながれる 深い川の流れは、浅い川のように水音を立てず、静かであることから、真に実力のある人や、思慮深い人ほど、やたらに騒ぎ立てることはないということのたとえです。
英語のことわざ「Stillwatersrundeep.」の訳です。
武士は食わねど高楊枝読み方:ぶしはくわねどたかようじ たとえ貧しい境遇にあっても、貧しさを表に出さず気高さ持って生きるべきだという意味です。
「高楊枝」とは、食後にゆうゆうとつまようじを使うことです。
武士は貧しくて食事ができなくても、あたかも食べたかのようにつまようじを使って見せることが由来です。
「やせがまんする」という意味でつかわれることもあります。
冬来たりなば春遠からじ読み方:ふゆきたりなばはるとおからじ つらい時期を耐え抜けば、幸せな時期は必ず来るというたとえです。
パーシー・ビッシュ・シェリー(1792年~1882年・イギリスの詩人)の「西風に寄せる歌」という詞の最末尾にある「IfWintercomes,canSpringbefarbehind?(冬が来るなら、春が遥かにあり得ようか?)」という言葉が由来です。
故きを温ねて新しきを知る読み方:ふるきをたずねてあたらしきをしる 「温故知新」という四字熟語と同じ意味です。
古いこと、昔のことを研究して、そこから新しい知識や道理を見つけ出すという意味です。
孔子(こうし・紀元前552年~紀元前479年)の「故きを温ねて新しきを知らば、以て師となるべし」が由来で、「過去の出来事や先人の知恵に学んで、今を知る手段にする」という教えです。
細き流れも大河になる読み方:ほそきながれもたいがになる 小さな川がたくさん集まれば大きな川になるように、小さな努力でも長く続けていれば、やがて大きな成果を得ることができることのたとえです。
【ま行】蒔かぬ種は生えぬ読み方:まかぬたねははえぬ 種を蒔かなければ花も実もなることはなく、収穫することもできないことから、努力もせずに良い結果は得ることができないという意味です。
待てば海路の日和あり読み方:まてばかいろのひよりあり たとえ時化(しけ・海が荒れること)が続いても、待っていればそのうちにかならず航海に適した穏やかな天気になることから、今は状況が悪くてもじっくりと好機を待てというたとえです。
昔の中国では、恵みの雨のことを「甘い露」と呼び、「日照りに苦しんでいても、耐え忍んでいればいずれ甘い露が降ってくる」という意味で「待てば甘露(かんろ)の日和あり」ということわざがありました。
これが日本に伝わった時、「甘露」が日本人に馴染みがなかったので「海路」に変わったといわれています。
実るほど頭を垂れる稲穂かな読み方:みのるほどこうべをたれるいなほかな 立派な人ほど謙虚であるという意味です。
稲が実を熟すほど穂が垂れ下がることから、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということのたとえです。
また、人間は偉くなればなるほど、謙虚な姿勢で人と接することが大切であるという戒めの言葉として使われる場合もあります。
詠人不明の故事成語のことわざとして扱われています。
パナソニックの創業者松下幸之助さんもこのことわざを信条としていたそうです。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ読み方:みをすててこそうかぶせもあれ 溺れかけたときはもがけばもがく程深みにはまるものであり、捨て身になって流れに身を任せれば、やがては浅瀬に立つことができることから、自分の命を懸ける覚悟があってこそ、初めて窮地を脱して物事を成就することができるということのたとえです。
【や行】【ら行】【わ行】良い花は後から読み方:よいはなはあとから 早く咲く花よりも、後から咲く花の方が美しいということから、目先にあるものに飛びついても大したものではなく、本当にいいものは後から現れるという意味です。
李下に冠を正さず読み方:りかにかんむりをたださず 李(すもも)の木の下で冠をかぶりなおそうとして手を上げると、実を盗むのかと疑われるから、人から疑いをかけられるような行いは避けるべきであるということのたとえです。
中国の古楽府(こがくふ・六朝時代以前に作られた)の「瓜田不納履、李下不正冠」という一文が由来です。
「瓜の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。
また、李の木の下で冠を被り直せば、李を盗むと疑われる」という意味です。
災い転じて福となす読み方:わざわいてんじてふくとなす 災難や不幸を逆に利用して、いい結果に結びつけるという意味です。
中国の「戦国策(せんごくさく・戦国時代の説話集)」や「史記(しき・中国前漢時代の歴史書)」に出てくる四字熟語「転禍為福(てんかいふく)」が由来といわれています。
「第一希望の企業は不合格になってしまったけれど、別の企業で採用されて自分の力を発揮できている、これこそ災い転じて福となすだね!」「怪我をして入院することになったけど、この機会を利用して資格試験の勉強をしているんだ。
災い転じて福となすだよ」このように使います。
笑う門には福来たる読み方:わらうかどにはふくきたる 笑いが絶えない、明るい家庭には、幸運がやってくるという意味です。
「門」は、家族や家を意味しています。
家族という単位だけではなく、「いつも笑いが絶えない人には、幸運が訪れる」という意味で個人に対しても使われます。
お正月遊びの「福笑い」が由来です。
和をもって尊しとなす読み方:わをもってとうとしとなす 人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという教えです。
聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉です。
孔子の論語「以和為貴」(和を以て貴しと為す(わをもってたっとしとなす))が由来という説もあります。
ことわざ・格言を100個ご紹介しましたが、みなさんが座右の銘にしたい言葉はありましたか?自分自身を戒める言葉や励ます言葉、目標にしたい言葉などいろいろなことわざ・格言があったのではないでしょうか。
座右の銘の数は決まりがありません。
気に入った言葉が複数あったらいくつでも座右の銘にして良いそうですよ! 関連:【ことわざ100選】有名なことわざと意味一覧関連:ことわざ、慣用句、故事成語、四字熟語の違いって何? [TwitterSharePocketHatenaLINEURLコピー-日本語authorNHKより:2021年12月14日11:51AM学校で使います返信japancultureより:2021年12月17日8:17AMコメントありがとうございます!返信コメントコメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。
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